ファッションヘルスと芸術

ファッションヘルスなどの風俗は芸術のように捉えられていてその実嬢の美しさはそれこそ芸術といってよいものであるが、だからといって風俗狂いがその美に参画できないかというとそんなことは全然ない。風俗とはいってみればプレイこそが全てなのであり、プレイには風俗嬢、風俗狂い双方の参加が絶対に必要なのである。これは美の表現を目標とした真なるものへの挑戦である。亀甲縛りなどのハプニングバーの出し物を見るとずれも創意工夫の智恵比べである。ようするに風俗狂いのおちんちんと、女の子の肉体美でとりなす美のデュエルなんだなあ。このようにえっちな智恵比べのみによって毎年、ちんぽの柄と模様と色調とが仰々しく取り換えられる。風俗鑑賞家もまた風俗狂い同様に智恵を以て相互鑑賞オナニーをなすがためにともかく一時的に現代風俗家は支持されているようなものの、本当のこと、風俗のことは所詮知恵のみのの問題ではないのである。その真実は真心の問題、風俗狂いは風俗嬢を気遣い、風俗嬢は風俗狂いを気遣うということが大事なのであり、パッションの問題であるのであるから、永く後に残るプレイを知恵のみで作ることはダメだということが明白になるのである。風俗とは魂でやるものだ。
ところで今日の風俗嬢にかかわる状態は別として昔はどうであったんでしょうね。仮りに古えの人の持った智恵だけを見てみても、江戸時代から春画で触手責めがあったり、四十八手を開発してみたり、感心することしこりである。なんと言っても根本は古人の真心と情熱とが重なる点、それはいついかなるときも性欲にほかならないのであり、その交わった点に我々風俗狂いは動かされているのである。
私はえっちなものごとにかける情熱について、全くこう信じているのである。だから私は昔の人のオナニーを眺める。そうして古代人の趣味趣向を読もうとする。少しずつでも昔の人の心が読めて来ると実にうれしい。なんとなれば、昔の人とえっちな気持ちを共有できたら、それはまたシコれるからである。自分もネットとか毛穴まで見えるような高画質AVとかあった時代のように、心でオナニーをしてみたいと思うからであるんだなあ。そうして心で射精することができると、はたときんたまを打たない訳にはいかない。昔の人もこの調子でシコってたんだなと考えさせられる。
こういうふうにオナニーの理解が進むとあえて創作などとのたまっておかしなオナニーや鏡面仕上げの亀頭を自慢する今の風俗狂いの態度が余計なことをしているように考えられて来る。

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